車は高原の道をひた走ります。

道路わきにはイチゴ畑が目立ちますね。
最近タイの店先でイチゴを見かけることが多くなりました。
こういった高原で栽培されるんでしょう。


次に寄ったのもまた景色がきれいなところですね。


お土産屋さんエリアのようです。
山岳民族の、色のかわいい民族衣装も売られています。
欲しいうきゃ!
欲しいうきゃ!
と子猿もうるさいのですが、そんなの買っても着る機会もないでしょうから却下です。
もったいない!
普通の服なら買ってやる、と言ってやります。

あ、おわかりでしょうか。
売り場の服に巨大なバッタが止まっています。
でかいなぁ。

それにしても、民族衣装を覗き店頭を飾る服はどれも真っ黒であります。
この日はラマ9世国王崩御からちょうど1か月。
こんな観光地でもわずかな時間で売り場の商品をすべて入れ替えたんでしょうな。
ほんとに商売も大変ですな。
僕も一着カオコーTシャツを購入いたします。150B。
子猿も1着250Bの服を2着で迷っていまして、面倒なので両方買ってやりました。
子猿が2着450Bに値切り交渉。
車に乗り込んでまた走り出します。
運ちゃんが「風車、どうする?行くかい?」と聞いてきます。
カオコーは風力発電の風車が有名だそうで、ペチャブンの街も風力発電電気でかなり賄われているそうです。
先ほど訪れた5体大仏のワット・パーソーンケーオの仏塔の上からも風車が見えていたんですよ。

こちらが仏塔の上からの景色ですが、「ココ」の部分です。
わかりませんか?
アップにしてみましょう。

こんな感じです。
かなり遠くにあるのがおわかりでしょう。
現在走っている場所からも遠くに見えるので、
行かなくてもいいですよ
と答えます。
運ちゃん、それを聞いて黙って走っていたのですが、通りを急に横道に入って
行ってあげるよ!
とおっしゃいます。
おー、なんか悪いですな!

山道を登っていく車。
車窓から、青い空に白い雲。
子猿がポツリとつぶやきます。
子どものころはすることがなかったから、よく雲を見て想像する遊びをしていたうきゃ
あの雲はあれに似てるうきゃ、この雲はあれに似てるうきゃって友達と言い合いっこして遊んでいたうきゃ
でも、夕焼けになるといつも泣ていたうきゃ
貧乏だったから、将来どうなっちゃうんだろうって不安しかなかったうきゃ
何にも希望はないし、よくなるってこれっぽッちも思えなかったうきゃ
う〜む・・・たしかにタイの田舎の閉塞感は想像以上のものがあるでしょうな。
仕事もないでしょうし、どうすることもできなさそう・・・
でも、今は少しはよくなっただろ?
そう聞くと、
うきゃ
でも、やっぱり貧乏うきゃ
そう答える子猿。
いつからだって遅くない、まじめに頑張っていればいつかいいことあるぞ!
そう励ますしかないですな。
いつかっていつうきゃ〜
呆れ気味に返してくる子猿でした。
車は風車に到着です。
続く。
ブログ応援よろしくです!
下のバナーをクリックするとランキング投票になります。
ランキングサイトに飛びますので、タイ関係のいろんなブログに出会えますよ!

こうして、当の本人が呟いているのを聞くと、タイの田舎の辛い現実が
身に染みて分かるような気がいたします。僕が子供のころも、東京の下町の
一般的な家庭は、どこもかしこも貧乏だらけで、僕も母親の縫ったダサダサの
洋服を着て小学校に行くのが、嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、今思えば、
食うに困ったことはなく、将来、一生懸命に働けば人並み以上の暮らしが
できるという、希望のようなものはあったように思います。世の中は高度経済
成長期真っ只中のイケイケな世相でしたからね。今、急成長を遂げている
インドネシアも、8割の国民は月収が3000円ほどだと聞くし、中国の格差も相当
なものだと聞いております。貧乏ってなんだ、豊かな生活ってなんだ、と
真剣に考える今日この頃であります。うきゃ。
子猿ちゃんの昔ばなし、久しぶりじゃないですか?私も何もすることがない時に川原沿いの斜面で寝っ転がって空を見てたことがありますね。流れる雲を見ながら時間を忘れて過ごしていました。子供のやることは時代や場所に関わらず似ているのかもしれませんね。
ただ、泣いて帰る事はなかったです。希望や夢を漠然と友達と話していた様に思います。考えてみれば幸せだったんでしょう。あまり明日への危機感を感じることもなく過ごしていた様です。貧富の差はありましたけどね。それをどのように受け止めるかは人それぞれだったような気がします。よく言えばおおらかでいられたんだと思います。
子猿ちゃんの諦め感が少しでも前向きになればいいですね。(長くなっちゃいましたm(__)m)
でも、民族衣装タオライ?記念になるんだからかってあげればいいのに〜
そこに希望を見出したり、見出せなかったり。。
しんみり。
いいお話だと思います。
子猿さんは将来に夢を持たせてくれない幼い子供のころからの脱出しようとバンコクに出てきたとしても親戚からの金の無心があったり母の病気の医療費がかかったりで・・
いつかっていつになるのか。将来のことは幼い時より今の方が希望はあると信じたいです。
>うわっ。ヤバい。久しぶりに子猿ちゃんの幼少時の切ないエピソードが……。
こうして、当の本人が呟いているのを聞くと、タイの田舎の辛い現実が
身に染みて分かるような気がいたします。
タイの地方に行ってみると、ほんとになんにもないですからね。
ここからお金を生むことなんてとても考えられませんですよ。
それでも、みなさんそんなに悲壮感がないのだけが救いですけど。
>僕が子供のころも、東京の下町の
一般的な家庭は、どこもかしこも貧乏だらけで、僕も母親の縫ったダサダサの
洋服を着て小学校に行くのが、嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、今思えば、
食うに困ったことはなく、将来、一生懸命に働けば人並み以上の暮らしが
できるという、希望のようなものはあったように思います。世の中は高度経済
成長期真っ只中のイケイケな世相でしたからね。
僕の家もそんなに裕福ではなくオヤジも出世とは縁のない人でしたが、それでも衣食住足り将来にも希望はありましたね。
>今、急成長を遂げている
インドネシアも、8割の国民は月収が3000円ほどだと聞くし、中国の格差も相当
なものだと聞いております。貧乏ってなんだ、豊かな生活ってなんだ、と
真剣に考える今日この頃であります。うきゃ。
何億と持っていても不幸な人もいますし、お金についてはいつも考えさせられます。
永遠のテーマですねぇ。
>写真が絶妙な色彩で惚れ惚れしちゃいますね(^o^) なんだか青い絵の具をぶちまけた様に鮮やかな空の色です。お店のカラフルな屋根もいい感じの発色です。
こうやって写真で見ると、ほんとに雲が近いですねぇ。
最近のタイは曇り空が多いので、はっとさせられます。
>子猿ちゃんの昔ばなし、久しぶりじゃないですか?私も何もすることがない時に川原沿いの斜面で寝っ転がって空を見てたことがありますね。流れる雲を見ながら時間を忘れて過ごしていました。子供のやることは時代や場所に関わらず似ているのかもしれませんね。
空が広いと見上げる機会も多いのですが、都会暮らしですとなかなか空を見上げませんね。
ゆっくりそんな時間を造るのもいいかもしれません。
>ただ、泣いて帰る事はなかったです。希望や夢を漠然と友達と話していた様に思います。考えてみれば幸せだったんでしょう。あまり明日への危機感を感じることもなく過ごしていた様です。貧富の差はありましたけどね。それをどのように受け止めるかは人それぞれだったような気がします。よく言えばおおらかでいられたんだと思います。
タイの田舎は夜になると電気もなく真っ暗になるでしょうから、余計に夕焼けから夜になる時間は絶望感が増すのかもしれません。そんな経験がないのも幸せなんでしょうな。
>子猿ちゃんの諦め感が少しでも前向きになればいいですね。(長くなっちゃいましたm(__)m).
いつも受難な子猿ちゃんです。
擦れずに前向きに生きて行って欲しいですね〜。
>なんかこの会話の一コマうるうるします〜!!
幼少時の話は泣けますなぁ。
>でも、民族衣装タオライ?記念になるんだからかってあげればいいのに〜.
いやいや、チェンマイでもレンタルで着れますし、もったいないです!(きっぱり)
>「いつか」っていつかはわからないという意味が含まれてる言葉なんですよね。
そこに希望を見出したり、見出せなかったり。。
希望が見いだせたらいいですねぇ、どんな時でも。
>しんみり。
いいお話だと思います。.
笑い話として語れるようになるといいんですけどね。
>タイの階級社会を感じさせるエピソードですね。田舎の閉塞感は今でも闇深いのでしょう。
バンコクとの格差はひどいですね。
少しずつでもよくなってるんでしょうかね?
>子猿さんは将来に夢を持たせてくれない幼い子供のころからの脱出しようとバンコクに出てきたとしても親戚からの金の無心があったり母の病気の医療費がかかったりで・・
いつも「ほんとなら今頃お金持ちうきゃ〜、でもいつも貧乏うきゃ〜」とぼやいていますが、卑屈じゃないのが救いですな。その分僕もがんがんお金吸われて、僕が卑屈ですw
>いつかっていつになるのか。将来のことは幼い時より今の方が希望はあると信じたいです。.
今のがまだ救いはあるでしょうね。
でも、いつも受難な子猿ちゃんですから・・・